Ballet Classic(F4号)

この作品は、私が30歳前後のときに通っていたバレエ教室で、ポスターとして使っていただいたものです。手前のバレリーナが躍動感があって良く描けました。


私は4歳から16歳までバレエを習っていたのですが、大人になって再開したら、まるで恋したかのように夢中になってしまいました(上手くはありません)。

それは、弘前の今は無き「SSバレエスタジオ」の先生方に感性を養っていただいたからだと思います。子供の頃のバレエの記憶が、むしろ大人になってから色濃くなり、輝きが増しました。

美しい双子の姉妹の新子先生と草子先生は、控えめで気取らない先生方でした。絵も描かれる先生方は、芸術的センスが生かされた創作バレエを毎年発表し、素晴らしい実績を残されました。

「SSバレエスタジオ」については私の今後の創作活動の原動力にもなるので、もう少しあたためてから描く(書く)として、今回はこの作品にゆかりのある杉並区の「今城バレエスタジオ」について書きたいと思います(こちらも現在はありませんが、新しい教室「バレエスタジオ クオーレ」に生まれ変わりました)。


私が「今城バレエスタジオ」と出会ったのは29歳のときでした。独身時代に住んでいた永福町で見つけ、またバレエをやってみようかな、くらいの気持ちで見学に行ったのが始まりです。ダンサーらしからぬ風貌のおじさま(今城先生)に迎えられ、若い女の子たちの熱気に包まれながらレッスンを見学しているうちにむずむずとやりたくなり、即決しました。

バレエのレッスンについて書くと長くなるので割愛することとして、今城先生のお人柄がわかるエピソードをひとつお話します。


当時の私は悩みはあっても、ある意味幸せな人だったのですが、いろいろとあった出来事をついつい先生に話し、異性の年長者としての意見を伺うことがたびたびありました。

ある日のレッスンの帰り道、辛い話を打ち明けて涙が止まらなくなってしまった私に、先生は何をしたと思いますか?(笑)

月明かりに照らされた薔薇の垣根に歩み寄り、棘のある蔓を歯でガシガシと嚙み切って、私に赤い薔薇を差しだし、「ほら、えりちゃん、泣くんじゃない。大丈夫だから。」と言って抱きしめてくれたのです。

呆気に取られ、なんだか可笑しくて笑ってしまいました。こんなことを咄嗟にできる人はそうはいません。(薔薇の庭のお宅にはごめんなさい。)


先生には人を惹きつけるチャーミングなところがあります。バレエしかない、夢みる人。この先生と出会ってバレエの虜になった生徒はたくさんいたはずです。

この教室は、今城誠人という人間の魅力的な人柄と並々ならぬバレエへの情熱、そしてバレエに憑りつかれた女の子たちの様々なドラマが交錯する、非日常の夢の巣でした。

時が経つと生徒も入れ替わるので皆が共感するかわかりませんが、私は自分が在籍した3年間を振り返るとそう思います。


私はこの教室を去ってからもたまに先生の様子を伺うことがあったので、およそ60年にも及ぶバレエ教師人生の栄枯盛衰を垣間見た気がしています。

最期まで好きなことに情熱を傾け、追求し続けることの清々しさを先生の姿に見ました。誰もができることではありません。なんて幸せな人なのだろう!と思います。しかも素敵な女の子たちに囲まれて(笑)

もうご高齢となり勇退されましたが、背筋をピンと張って人生の舞台を全うする今城先生に、緞帳が下りるまで、いえ、下りてからも、私は惜しみない拍手を贈ります。


教室のポスター。発表会のプログラムやチケット、小道具なども作りました。

駅の看板も作りました。京王井の頭線永福町駅は新しくなり、この看板はもうありません。

エドガー・ドガ『バレエの授業』(左)

ドガの絵に描かれているのはパリ・オペラ座で教鞭を取っていたジュール・ペロー。

ロマンティックバレエの代表作『ジゼル』の生みの親のひとりです。

ちょっと今城先生(右)みたい・笑

発表会の記念撮影(上)とカーテンコール(下)

今城バレエスタジオにて。素敵な思い出♡