弘前ねぷた

昔のブログに書いた記事の使い回しで恥ずかしいのですが、私のねぷた愛をここにもあげておこうと思います。長いですよ!(笑)自論なので間違ったことを書いていたらご指摘ください。

※「弘前ねぷた」の比較対象として「青森ねぶた」をあげていますが、他に「五所川原立佞武多」など県内30箇所以上でその町独自のねぶたまつりが催されています。

「弘前ねぷた」

私の故郷、弘前では、8月1日~7日「ねぷたまつり」が催されます。1週間にもわたり方々からねぷた囃子が聞こえ、勇壮なねぷたが城下町を練り歩きます。

私が弘前ねぷたを誇らしく思うのは、市民の心意気が祭りを継続させていることにあります。企業の出すものは少なく、基本的に町会単位でねぷたを作ります。子供たちも密に関わりながら祭りが受け継がれているのは城下町ならでは。しかも大小80台余りものねぷたが出るんですよ!

弘前ねぷたは、有名な青森ねぶた(8月2日~7日)とはいろいろと異なります。両者の祭りの由来や解釈を説明すると長くなるので省略しますが、一目瞭然の違いだけ述べると

【青森】

・「ねぶた」と呼ぶ

・形は人形

・掛け声は「ラッセラー」など(お囃子も青森独自)

・運行はハネト(跳人)が飛び跳ねて踊る

★青森ねぶたは神輿のように「ワッショイ」系。勇壮華麗なねぶたの周りをハネト(跳人)が囲み、乱舞します。イメージ的に<円>です。

【弘前】

・「ねぷた」と呼ぶ

・形は扇で表と裏に絵

・掛け声は「ヤーヤドー」など(お囃子も弘前独自)

・運行は秩序ある行進

★弘前ねぷたは「行列・参列」系。祭りの参加者はねぷたを引っ張り、泰然たる川のように流れ進むねぷたを、観覧者が仰ぎ見ます。イメージ的に<線>です。

弘前ねぷたは、青森ねぶたのようなパッション全開の祭りとは異なり、「厳かな儀式」であり、「絵を魅せる、観る祭り」なのだと私は思っています。

弘前は、各町会にお抱えの絵師がいます。この町、この絵師は、今年はどんなねぷたを出すのかと、皆楽しみにしています。動く芸術作品は競い合い、僅か1週間で燃え尽きるのです。保存しているものもあるかと思いますが、7日目(なぬかび)に燃やしてしまうので本当に儚いです。

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そのねぷた絵について少しお話します。

扇形のねぷたの表は「鏡絵」、裏は「見送り絵」といい、表も裏もたいてい怖い絵です。

●「鏡絵」は三国志や水滸伝などの勇壮な武者絵が描かれます。主に流血の戦の場面で、えぐられた目が飛び出ていたり、真っ青な生首がポーンと飛んでいたりします。

●「見送り絵」は妖艶で幽玄な女性が描かれます。美女かと思いきや幽霊だったり、自ら刀で切り落とした男の生首を持って立つ女傑だったりします。私は、ねぷたの個性が光る「見送り絵」を観るのが特に好きです。

※「弘前ねぷた」「鏡絵」「見送り絵」で検索して画像をご覧ください。

これらは武士がいた街に好まれた題材なのでしょうか。でも、ただ恐ろしいのではなく、それを上回る絵の美しさがあるのです。内側から照らし出される光と色の効果も相まって本当に素晴らしい。恐ろしいものを目に焼き付ける、おどろおどろしさのなかにも美を感じる、弘前で生まれ育った人は、そういった感覚をDNAのように植え付けられているような気がします。

残酷さは弘前ねぷたになくてはならない要素だと私は思います。

ちょっと関連して、近年危惧していることなのですが、例えば昔話の内容が変化している件。昔話にある残酷さをマイルドな展開にして子供に伝えているようですが、そんな安易でつまらないことをしないで欲しいです。すべて教訓なのだから。弘前ねぷたの絵をマイルドに、などと言う市民がいないことを祈ります。弘前ねぷたから残酷さがなくなったら終わりです。

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あくまで私が故郷に感じることですが、この街は(都会の人が田舎にイメージする)のんびりとした温かさというよりも、凛とした厳しさのある街だと思います。各々のわきまえや秩序、礼儀、美徳、誇り……などといったものが、脈々と根底に流れているような気がするのです。これは決して窮屈なことと私は思いません。心に留めておきたい大事な精神と考えます。 弘前ねぷたには、これらの精神が凝縮されていると思うのは私だけでしょうか。

先頭を切る大太鼓が胸を打ち、ねぷた囃子と「ヤーヤドー!」という掛け声とともに、闇夜に浮かぶねぷたがゆっくりと目の前を通り過ぎるとき、私は涙をこらえるのに必死です。なぜ自分は弘前を離れ、何もしないで観光客のように観ているのか。この街に生き、これほどの素晴らしい祭りを守り続けている弘前市民に敬服するばかりです。

弘前の夜を、赤く熱い一筋の動脈のように流れる何十台ものねぷたは、各々の町に別れて眠りに着きます。

「ねーぷたーのーもんどり(戻り)こー」