弘前ねぷた
(※画像は今年の弘前ねぷたまつりのポスターですが、私が撮った短い動画はFacebook、Instagram、Twitterの方でご覧いただけます。このHPには直接動画を貼り付けることができないようです。)
先日、3年ぶりに催される弘前ねぷたをどうしても観たくて帰省しました(時間がなくほぼとんぼ帰りです)。今年は、弘前ねぷたが1722(享保7)年に初めて文献に登場してから300年という節目を迎えた特別な年。
ねぶたというと「青森ねぶた」の認知度が高いので、「弘前ねぷた」は見た目もやり方もまったく違うものであることを(細かいことを言えば「ねぶた」ではなく「ねぷた」と呼ぶことも)毎度説明しなければなりません。そしてさらに説明すると、五所川原の「立佞武多」も異なりますし、実は県内40箇所以上の地域で独自のねぶたまつりが催されていることもあげなくてはなりません。
私は弘前市出身なので弘前ねぷたを愛する気持ちが強いです。しかし贔屓目を抜きにしても、弘前ねぷたというのは独特な美を放つ濃密なまつりだと思うので、少しでも皆さんに知っていただきたく、ここに書き留めることにしました。以前書いた文章も引用しながらまとめましたので、長文ですがご一読いただけると幸いです。(改訂を繰り返しているので「またか…」と思われる方もいらっしゃると思いますが、これで最後かな・笑)
~弘前ねぷた~
弘前ねぷたは8月1日~7日の1週間に渡り、大小約80台ものねぷたが城下町弘前を練り歩く勇壮華麗なまつりです。
多くの方がご存じの「青森ねぶた」は「凱旋ねぶた」と呼ばれ、豪壮な人形型のねぶたの周りを、ハネト(跳人)と呼ばれる祭り人が「ラッセラー」という掛け声とともに歓喜しながら飛び跳ねて踊ります。
対する「弘前ねぷた」は「出陣ねぷた」と呼ばれ、形は扇型で、表と裏にそれぞれ武者絵と美人画が描かれています。祭り人は踊りません。ねぷた囃子を奏でながら「ヤーヤドー」という掛け声とともに前進します。まるで武士が隊列を組み、合戦に赴くかのような厳かさがあります。
私が弘前ねぷたを誇らしく思うのは、市民の心意気がまつりを継続させていることにあります。企業の出すものは少なく、基本的に町内会でねぷたを作ります。子供たちも密に関わりながらまつりが受け継がれているのは城下町ならでは。
各町内会にはお抱えのねぷた絵師がいて、若い絵師も育っています。この町、この絵師は、今年どんなねぷた絵を見せてくれるのかと、皆楽しみにしています。しかし儚いことに、動く芸術作品は魅せ、競い合い、僅か1週間で燃え尽きるのです。7日目(なぬかび)に燃やしてしまうからです。
弘前ねぷたの命であるねぷた絵は、表の「鏡絵」、裏の「見送り絵」から成り、表も裏も恐ろしい絵が多いです(私が撮影、添付した動画は恐ろしくないので説得力に欠けますが美しいねぷた絵です)。
鏡絵は三国志や水滸伝などの勇壮な武者絵が描かれます。主に流血の戦のシーンで、えぐられた目が飛び出ていたり、真っ青な生首がポーンと飛んでいたりします。
見送り絵は妖艶で幽玄な女性が描かれます。美女かと思いきや幽霊であったり、自ら刀で切り落とした男の生首を持って立つ女傑であったりします。私は、ねぷたの個性が光る見送り絵を観るのが特に好きです。
これらは武士がいた街に好まれた題材なのでしょうか。でもただ恐ろしいのではなく、それを上回る絵の美しさがあるのです。内側から照らし出される光と色の効果も相まって生き生きとしている。恐ろしいものを目に焼き付ける、おどろおどろしさのなかにも美を感じる、弘前で生まれ育った人は、そういった感覚をDNAのように植え付けられているような気がします。それが良いことかどうかは置いておき、残酷さは弘前ねぷたになくてはならない要素です。近年ありがちなマイルドな表現は要りません。弘前ねぷたから残酷さがなくなったら終わりです。
今回久しぶりに観たら、なんだかまだ津軽藩にいるような気さえしました。子供の頃からある意味洗脳されていて、ねぷた囃子が聞こえると戻らずにはいられないような感覚。この時代に日の本で戦が始まったら勝ち進みそうなパワーを持つ土地。完全に時代錯誤ではありますが、先祖代々の魂が宿る強いエネルギーを持つまつりだとあらためて感じました。
あくまで私が故郷に感じることですが、この街は(都会の人が田舎にイメージする)のんびりとした温かさというよりも、凛とした厳しさのある街だと思います。各々のわきまえや秩序、礼儀、美徳、誇り、覚悟……などといったものが、脈々と根底に流れているような気がするのです。それは決して窮屈なことと私は思いません。心に留めておきたい大事な精神と考えます。 弘前ねぷたには、これらの精神が凝縮されていると思うのは私だけでしょうか。
先頭を切る大太鼓が胸を打ち、ねぷた囃子と「ヤーヤドー」という掛け声とともに、闇夜に浮かぶねぷたがゆっくりと目の前を通り過ぎるとき、私は涙をこらえるのに必死です。この街に生き、これほどの素晴らしいまつりを守り続けている弘前市民に敬服するばかりです。
弘前の夜を、赤く熱い一筋の動脈のように流れる何十台ものねぷたは、各々の町に別れて眠りに着きます。
「ねーぷたーのもんどり(戻り)こー」
「ヤーレヤーレヤーレヤー」
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